2013年07月11日
30数年前、当時「都道府県知事免許」であった柔道整復師試験に合格した私は、地方の整形外科病院に勤務することになりました。その病院には、先輩の柔道整復師が6人勤務していて、最も長く働いていた先輩は、すでに12年間も勤務していました。そこでは、柔道整復師の業務範囲内である外傷の治療は、医師の指示もとに柔道整復師が担当していました。最初は先輩の行う骨折や脱臼の徒手整復(手術をしないで脱臼や骨折を治す方法)を、おそるおそる遠くから見ているのがやっとの状態でしたが、暫くすると学校で勉強してきたことを実行してみたいという気持ちになりました。しかし、6人もの先輩がいるなかで、新人である私に出る幕などあろうはずがありません。整復時の助手ですら指名されることはなく、脱臼や骨折をしている患者さんに触れることすらできない状態が続きました。それでも、見ているだけで大いに勉強になり興味の持てるものでした。
その病院では、柔道整復師に平日の診療が終わっての残り当番や、休日の出勤の当番があり、当直医の手伝いをすることになっていました。最初は、残り当番や休日当番が担当できない新人の義務感から、当番の柔道整復師と一緒に残っていました。これは、基本的に孤独な長い時間を過ごさなければならないところに話し相手がいることで、なかなか先輩方には評判が良く、私は、少しずつ先輩に認めてもらえるようになりました。そればかりでなく、時間外や休日は手薄な診療体勢になりますから、その時間に来院する患者さんの診療ではやむを得ず私を助手に指名してくれるようになってきたのです。そのことに気が付き脱臼や骨折の徒手整復がやってみたくて仕方がない私は、意識して用事もないのに時間外や休日に病院で時間を過ごすようになりました。そんな私を見掛けた院長は私の気持ちを知ってか知らずか「なんだ、また君は居るのか」などと言っていましたが、とくに咎めることもありませんでした。平日の時間内に比べ時間外に病院を受診する新鮮外傷(けがをしたばかりの外傷)の患者さんは大変多く、私は、自分が時間外や休日の当番を担当する仲間になった後も、このことを続け多くの脱臼や骨折の治療を経験することができ、大いに技術習得の助けになりました。
私は、病院に勤務している間中この習慣を続けて、一年間の大半の日にちを病院で過ごす生活で家庭を顧みることはありませんでした。そんな私を見て妻は「あんたは病院がすきネ」などと言って、家庭や子供たちの面倒を見ない私を非難していました。
(文:呉竹医療専門学校 校長 細野 昇)
【その他のご案内】
★ スマートフォン無料アプリの取得方法はこちらをご覧ください。
★ 奨学金・教育ローン(呉竹悠裕プラン)のご案内はこちらから
★ 「更新情報をいち早く取得したい方」(twitter)はこちらをご覧ください。
★ 「在校生・卒業生呉竹学園求人検索システム」のご案内はこちらから